2013年10月22日火曜日

【考察】出世に必要なのはすべてを受け入れられる「無我」心境

以前まとめた7つの習慣、改め、横綱相撲アプローチの続き。

お客様、、、と書いて色々思うところがあったので、仕事上の顧客となる企業体を総称してクライアントと呼ぼうと思う。んで、そのクライアントと会話していて、感じたことをまとめる。ついでにいうと、プライベートでも嫁とも会話していて、感じたことをまとめる。

まだ、自分の中でも完成系の精神状態にたどり着いていないが、入り口に立って、この考え方が間違いではないことを確信するに至ったので、その実感を残そうと思う。

ありのままをそのまま、感情なく受け入れる

これが思いのほか難しい。
例えば、開発物のレビュー会において、プロジェクトとは関係ない会話をしてくる割にスケジュールを気にするクライアントがいたとしよう。この場合、無駄な時間をすごしたモチベーション低下、あるいは開発期間中のプロジェクト未完了リスクを恐れて焦る、といった場合があったとしよう。このとき、「腹立つわー」と感情的に対応することは簡単だし、以前の自分もそうであった。

ところが、最近は、俯瞰してみるようにし、クライアントがどういうことを重視して、何を気にして指摘しているのか意識するようにしてみた。雰囲気としては、始めは感情を無にして、クライアントの言いたいことを聞き、関心事を知ることである。これを実践してみたところ、クライアントの言いたいことが段々わかってきた。何年も同じクライアントと接してきたが、なんとなくクライアントの人となりがわかってきそうな気がしいる。

今までは「あいつ無知だから、あてずっぽうな質問と依頼をして腹たつわー」と思っていたが、「クライアントとのコミュニケーションの場であり、お互いいいものを作ろうと考える場なんだから、違った視点での意見は貴重。特に素人的な質問はユーザーの視点に近いんだから、説明書きは多くなるけど、後で見たときに新人に引き継ぎやすくなる」と考えると、大らかに話が聞けたし、あんまり揉めなかった。

会議が終わった後、クライアントのことを少し知った実感が残った。今までにないものだった。
「これだ。この視点が大事やったんや!」という確信が残る。

とはいえ、まだまだスタートラインです

やっぱり、話を進めていく上で色々思うところが生まれてきた。その感情も、本来は無視すべきなんだろうなと思うが、そこまで人間ができていないようである。まぁすぐには全部マスターできないしね。

改めて、横綱相撲のポイントを振り返る。

大事なのは「無」なんだと思う。
感情を完全に消すことは、たぶん、相当な上位に成長しないと無理だろうけど、感情と表現の間にある何階層かのどこかで無の領域に変換できれば、まずはいいのかな、と思う。

これがなかなか難しい。クライアントの要求が厳しい(これを以前は無茶振りと呼んでた)と、やはり無理ゲーな感じや無力感が先行し、顔や態度に出てしまう。

何で出てしまうんだろーと思ったら、娘の成長が浮かんだ。ああ、そうだ。感情は原始的な反応だから、人である限り、なかなか消えないんだ、と改めて実感。具体的に言うと、娘は0歳(8ヵ月半)なんだけど、以下の成長タイミングがあったと思う。つまり、幼児と同じものが30歳になっても残っているようだ。意識しないと、その頃の反応がそのまま出るんだろうな。

  1. 生まれる。困ったら泣く。うれしいからといって泣かないし、悲しいといって泣かない。
  2. 1ヶ月~3ヶ月。なんとなく、視界が見えるようになる。何かに反応する。困ったら泣く。
  3. 4ヶ月~8ヶ月。感情が芽生える。論理的思考はできない(ように見える)。困ったら泣くと同時に、泣くことで相手の反応を見るような行動に出る
  4. X歳。自らの想いを言語で発することができ、若干の論理性を持つ。

上記の中で「感情」とはどこで生まれるんだろうと考える。「感情」を「自分に不利益なことがあるとアピールして、自分の利益になるように振り向かせる活動」とするならば、おそらくだが、1の時点ですでに「感情」と呼ばれるものの種は生まれているんじゃないかと思う。直感だが。

そんなわけで

もう少し多くのことをありのままを受け入れられるように、感情を「無」にする訓練をしようと思う。で、実はその訓練場についてだけど、これが以外なところで発見できた。それは恐妻である。今までは、恐妻から売り言葉を受けたら、買い言葉で喧嘩になっていたが、だんだん受け流しができるようになってきた。そうすると、喧嘩は回避でき、問題の本質について議論をすることができるようになってきた。つまり、家庭円満、家内安全な家庭になる。家庭が落ち着く場所になる。万歳!

まぁ時間とか心に余裕がないと、そこまでできないんだけど。
というわけで、もう少し頑張ってみようかと思う。

あ、今後、嫁のことは恐妻と呼ぶようにしよう。鬼嫁の次は恐妻(笑)の時代、だな。たぶん、きっと。


ではまた。