2012年2月11日土曜日

【考察】閉塞感を打破する方法について

マスコミがとりあげる『閉塞感』ついて思ったことをつらつらと。。

・閉塞感?
さいきん、「最近、閉塞感が漂う」といった話を聞く。
私は花の二十代なので、昔を知らないが、よく聞く。
いったい、閉塞感というのは何だろう?とか思ったりするが、すぐ忘れていた。
せっかくなのでちゃんと整理してみようと思う。

・閉塞感とは(定義のはなし)
言葉の定義を確認するため、辞書を引いてみた。
「閉じふさがっている感じ。また、比喩的に、閉じふさがったように先行きが見えないさま。「のどに―がある」「―を打開する」」
つまり、知人やマスコミが言うには「閉じ塞がっている感じ」がする、ということか。

・何が閉じ塞がっているのか?
ここが謎。閉じ塞がっているのは何か?
よく話題にあがる(ように感じる)のは日本経済や昇給の類だろうか。
取っ掛かりとして、同期の話によく聞く「家族や子供が育てられない」という言葉を分析してみる。

子供におけるお金のこととすれば「支出が払えない」だろう。
というわけで、学習総費用を調べてみた。
が、案外、過去と比較しても教育費は変わっていないらしい。まぁ、私立は上昇傾向に見えるが、微々たるもんでしょ。

・参考文献(http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001086412

とすれば、閉塞感は収入の増加が見込めないということかなー、と仮説を立てる。
たしかに、若者世代が大企業に行っても出世しても昔ほど昇進によって見込める収入は少ないように思う(自社やお客さん会社の動向を見る限り)し、それっぽい論拠な気がする。
というわけで、今回は「収入増加が望めない」ということと閉塞感のつながりを考えてみる。

・昇給が望めない社会
個人的な解釈だが、「昔」と「今」を比較すると、確かに昇給はしづらい時代になったと思う。よく世代格差の話題を聞くけど、国の統計情報を見る限りでも正しい気がする。この軸をベースに閉塞感ととらえると、「たしかに」と思う。

とはいえ、「お金が減ったから不幸」というのは短絡的な気がしてきた。

もちろんお金はあるに越したことがないと思うが、物欲的を満たすことを考えると、お金は低価格化が進んでいるわけで、相対的な収入は上がっている気がする(※1)。

 マズローの要求分析を元に考えると、最低限の生活(衣、食、住)すら満たせないとなると、安全要求が勝ってどうしようもない感じがするが、それ以外はプラスの物欲であり、収入が上がらないから閉塞感が漂うといった論理は適切ではない気がする。


※1:映画:山本五十六や、連ドラ:カーネーションを見て比較する限り、ご飯の種類は増えたし、外食産業は発展したし、スマートフォンがあれば暇は潰せるし、低賃金で海外旅行(親の世代は海外は高コストだったと聞く)できるし、といたれりつくせりだ。

・じゃぁ今の閉塞感は何なのさ?

「塞がっていると感じている」理由をあえて言うなら、「上昇トレンドに乗りそこなった現状」と「たまたま上昇トレンドに乗れた過去」を比較するから感じているのではないかと思う。

で、その比較でわかりやすいのが『日本バブル』と『失われた20年』かと。「あー、昔はよかった」的な過去の賞賛も含まって、えらい比較になってそうだし。もちろん比較するな」と言うつもりはないんだけど。俺も団塊世代がうらやましいし。

冷 静に世界状況を見ると、今、世界はフラットになりつつあって、国内産業とかいう概念が失われつつあると思う(国内産業であるメリットが少ない)。つまり、 先進国と呼ばれていた国の富が海外の低賃金に吸い込まれている。そう考えると先進国として育った日本が、今後インフレトレンドになることは考えづらい。
そりゃ、昇給もあがらんんがな。加えて、利権を持った人はますます富を解放しないわな。

だからといって、昇給ないからといってスネてても仕方がない。
この時代をどう楽しんだらいいのかと考えてみる。
過去に戻れない以上、新しい道を開くしかない。
 
・この時代を楽しむために必要なもの
新しい道を探す前に、今までしがみつこうとしていた「収入が上昇したら、何がしたかったのか?」について考えてみる。

今回は上記理由により、あえて物欲は外して考える。ま、物欲は選択と集中で貯金すれば、多少の物やサービスは受けれるからねー。

で、出てきた自分の答えは「新しいことにチャレンジする」「達成感がある」「評価される」の3点セットである。給与額は2番と3番を確信付けるために必要だった。上がらないと達成感も上がらないジャンとか思ったら、そこで試合終了なので、もう少し考えた。

そんな時、たまたま見たのがコロンビア大学のアイエンガー教授の講義。
「選択」について議論した講義であった。

・「選択」がもたらすもの
講義で行われていたのは、「選択」が人生において大きな影響を与えるということ。
最初は「あーなるほど」とホゲーっと見ていたが、だんだん凄いことを言ってることに気づいた。

詳細は授業やTV(http://www.nhk.or.jp/hakunetsu/columbia/about.html)に譲るが、要は選択肢を持たないことはストレスになって寿命を縮めることになるし、選択肢を持つことは人のやる気が活性化されて生産性が上がる(※2)ということだ。

そういえば今年の課題として、Blogを毎日書くとか、ほぼ毎日弁当を作るとか、ほぼ毎週マラソンするとか実施してきた。それって振り返ると、昨年に比べると達成感があるし、日々の満足度が高いんじゃないかと思った。
もちろん、選択することはいいことばかりじゃなくて、選択を間違って凹むリスクもある。上記だと目標が達成できないとか。でも、それは次に繋がる失敗だと前向きに考えれば、ぼーっとはてなブックマークやgoogleNewsを見るより、よっぽど充実しているじゃないか!

※2:動物園と野生
先生の話によると動物園の動物と野生の動物においては、寿命が違うそうな。動物園だと選択の自由がないため、ストレスにさらされやすく、免疫が低下し、死ぬ確率が高まるとのこと。真偽は不明だが、カリフォルニア大学の先生を信じて、これを正として考える。


・そんなわけで
目標を立てて、好きなことややりたいことを決めて、満足しながら実施し続ける。若干のお金が上がったとか下がったとか考えるよりも、人生楽しいんじゃないか、と(※3)。

そんなことを考えてたら、閉塞感について議論するのがバカらしくなってきた(ぇ
そんなわけで、今後は閉塞感には目をつぶり、選択の自由を謳歌しようと思うわけです。

今日考えたのは、まぁそんな感じ。

※3:そんなことを考えたところ、ちょうど、今後Happyが中心の産業が進化する(http://learnbydoing.jp/2012/02/08/megatrend/) という記事を見た。この記事に沿った社会ができれば『お金は少なくても、もっとHappyな社会』が実現できるのではとワクワクした。そんなわけで、 「『お金は少なくても、もっとHappyな社会』実現の為に自分にできること」がないか探してみてるんだが、これはこれで幸せなんじゃないかと思ったり。 これが目標のある生活というやつか。
 
いじょ